第2話 スタジオ・クローズ

 

しょっぱなからクローズの話で、すいません。

でも、この前、ある人とメールをしていて、スタジオ・クローズこそ私のバレエの原点だったことに気がついてしまったのです。

 

私がバレエを始めたのは、今はなき青山ベルコモンズにあった、「青山ヘルシイスタジオ」という、ダンスを主体としたフィットネスクラブでした。ジャズダンスとエアロビクスとバレエは共通チケット制で、バレエのレッスンは土曜日11時と平日の夜。就職したばかりの私は、通勤だけでふうふう言っていて、平日の夜にお稽古ごとをするなど考えられませんでしたが、やがて、土曜日だけでは足りなくなり、もう1日レッスンができれば・・・とたどり着いたのが、「青山ヘルシイスタジオ 中野スタジオ」。姉妹校なので入会金もいらないし、レッスンは日曜の昼間でした。

 

中野スタジオのインテリアは、青山に似ていましたが、そこを流れる空気はかなり庶民的で、来ていた人たちもフレンドリー。

お友達もできて、帰りにランチを食べるのも楽しみになりました。

 

しかし、それほど経たないうちに、「スタジオ・クローズ」の張り紙が…。青山は今までどおりですので、青山に通ってください―とありました。呆然としましたね。

クローズが決まったスタジオに入ってくる人はいません。今までいた人たちも、どんどん抜けていきます。しょんぼりとした気分の私たちに、ヴィオレット先生は、「この後、他の先生についても恥ずかしくないように」と、トンベ・パ・ド・ブレの特訓をしてくれました。トンベ・パ・ド・ブレは、地味~な、つなぎの動作です。初心者がつまずくのもこの動き。でも、次の動きにつながる大切なものでもあります。これを残りの2か月だったか3か月だったか、徹底的にたたき込んでくれました。

 

さらに最後の1、2か月は、「ジゼル」から「ペザントの女性ヴァリエーション」を教えてくれました。今ではヴァリエーション・クラスは、どのスタジオにもあって大人気ですが、当時、大人のバレエクラスが珍しい時代にあって、ヴァリエーションを初心者の大人に教えてくれたというのは、今から思うと、先生、特許取れたのに―って感じです。

ともあれ、このレッスンを通じて、1曲の作品を踊る楽しさ、バレエの目的はこういうことなんだ―と言うことを知りました。

 

スタジオ・クローズは、本当に悲しい出来事です。

でも、ピンチはチャンスに変わるのです。必ず。