第92話 世界に一つだけの舞台

先日の発表会で、92歳のお父様のフルートと娘さんのハープで「ボレロ」が演奏されました。お父様は85歳からフルートを始められたということで、燻し銀の音色を優しく包み込むハープのハーモニーが印象的な、世界に一つだけの素敵な「ボレロ」でした。

 

フルート/フラウト・トラヴェルソのレッスンは個人レッスンですが、年に3回、同じ先生に習っている “きょうだい弟子” が一堂に会し、日常のレッスンの成果を披露しあいます。3回のうち2回はハープを習っている方たちとの合同で、空き時間や打ち上げの席で、短時間ですがお話をする機会があります。

 

皆さん、大人の方です。仕事をされている方、リタイアされた方、主婦もいるかもしれません。皆、それなりの人生経験を積まれ、何かのきっかけで楽器を手にされています。亡くなったダンナ様の大切にしていた楽器を引き継いだり、お孫さんと共演できる日を夢見たり、若い頃ちょっと触れたことがあったり…など、楽器と巡り合ったエピソードや練習を続ける上での苦労話など、伺ってみると、一人一人に物語があります。

 

私を含め、確かに、プロの方の演奏とは技術的には程遠いものがありますが、皆さんの人生のバックグラウンドを伺ってから耳を傾けると、演奏に奥行きを感じることができます。音色から、生き様や人生観が垣間見えるように思えることもあります。

 

私の贔屓目もあるのかもしれませんが、普段 “普通の生活” をしている人たちの演奏には、楽器一筋で生きてきた人には出せない深みがあります。それはダンスでも、絵画などの美術作品でも同じではないかと思います。

 

子供の頃、友達と遊ぶこともなく、稽古一筋だった人の表現は確かにテクニックは素晴らしいかもしれませんが、面白味に欠けるように思えるのは偏見でしょうか。

 

芸術にはとかく、「〇年に一度」「今世紀最大」といった形容詞のついた、「神童」「天才」「鬼才」「逸材」と言われる若者が登場しますが、あっけなく姿を消してしまうこともあり、その後、何十年かの紆余曲折を経て返り咲くこともあります。女性の場合は母となって、新たな境地を開く人もいます。プロであっても、普通の人として積んだ経験は、表現の幅を広げるのに必要なようです。

 

その点では、普通の生活のプロである私たちは、「〇〇一筋」で生きてきた芸術家より有利かもしれません。

大人から始めて技術的には見劣りしても、その人なりの生き方が映し出されて、世界にたった一つの音色が、動きが、色あいが生まれるのではないかと、私は思います。

 

「子供の頃からやっていれば…」、「仕事なんて辞めて、ずっとレッスンしていたい」…?

いえいえ、人それぞれの ”普通の生活” を営んできたからこそ、世界に一つだけの表現ができるのです。