第118話 世界一しあわせなバレリーナ

私の親戚に、本物のバレリーナがいます。

と言っても、母の兄のお嫁さん(伯母)なので血の繋がりはありませんし、今は天国にいます。

 

伯母がバレリーナだったのは昭和20年代〜30年代初頭ではないかと思います。

まだバレエが珍しかった頃でしょう。

 

私が知っている伯母は、すでに2人の子供(私のいとこ)のお母さんで、家にバレエを匂わせるものはなく、働き者で、良妻賢母の鏡のような人でした。

 

伯母の家はいつ行っても掃除が行き届いており、キレイに整頓されていました。

毎年お正月には、伯母の家に親族全員が集まりました。いつも20人以上集まリましたが、お正月のご馳走は全部伯母の手作りでした。お節料理のほか、オードブルにサンドイッチやフルーツポンチ、どれも美味しくて、今でも懐かしく思い出されます。

伯母の義理の母であった私の祖母も、晩年は伯母が介護しました。

私が思い出す伯母は、綺麗で明るくて、いつもニコニコ笑っていました。

 

元気いっぱいの伯母でしたが、60代で脳血管疾患を患い、身体が不自由になり、リハビリに取り組んでいましたが、70代で亡くなってしまいました。

 

伯母が亡くなってしばらくして、父と、伯母の家を訪れました。

そこで、伯父が見せてくれた写真に、父と私は唖然としました。

 

バレリーナ時代の伯母の写真が、大きなパネルいっぱいにコラージュされていたのです。

伯母はコールドバレエのようでしたが、写真の中では主役でした。ほとんどが白いチュチュを着ていて、ジャンプしている写真もあった記憶があります。

 

無口で喜怒哀楽を外に出さない伯父でしたが、おそらく伯母に一目惚れ。カメラを担いで公演のたびに伯母を撮影に行ったのでしょう。しかもデジカメはおろかオートフォーカスもない時代。舞台の間中ずうっとカメラのレンズだけを見つめ、ピントを合わせ続けていたのだと思います。

伯父の視界では、伯母だけが踊っていたのでしょう。

 

その先、どんな物語が二人の間に展開したのでしょう?

私の推測にすぎないのですが、あの写真が伯父のプロポーズだったのではないでしょうか。今だったらドン引きしちゃいそうですが、写真自体が高級なものだった時代です。ひょっとしたら十数枚の写真を撮るために、お給料を全て叩いたことも想像できます。

伯母はきっと、天にも登るほど嬉しかったのではないでしょうか。

 

それにしても、真ん中を踊っていたのに写真に入れてもらえなかったプリマ・バレリーナ、悲しかったでしょうね。

 

伯母が二児の母となり、歳をとって身体が不自由になっても、いつも伯父の中にはバレリーナだった時の伯母がいて、そのときと変わらぬ愛情を伯母に注ぎ続け、添い遂げたのです。

 

たとえ踊った期間が短くとも、お客様に名前を知られなくとも、伯父の心の中でプリマ・バレリーナであり続けた伯母は、世界一しあわせなバレリーナだったのだと思います。