第120話 全ての道はスタジオから始まる(2)  アイルランドの風

某スタジオに通っていたとき、「トゥルー・ナイト」という映画の試写会に当選し、レッスンを一緒に受けていた友達を誘って行きました。

 

題名からロマンチックな映画を想像したのですが、スクリーン上に繰り広げられたのは古代ヨーロッパの戦闘風景。不思議なストーリーに圧倒されました。一緒に行ってくれたポピンズさんは英国留学経験があり、ケルト神話が元となっていることを教えてくれました。

 

題名のナイトはknight(騎士)でした。もうちょっと題名の翻訳に知恵をしぼってほしいですよね。

 

それからケルト神話や妖精のお話を読み始めました。

 

ケルト文化は、今もアイルランド〜イギリス〜ヨーロッパ大陸の一部に残っています。古代ケルト人は文字を持たず、独特の死生観を持っていました。口伝えで伝えられたお話はどれもミステリアスで楽しく、音楽も日本で知られているメロディーがたくさんあります。

 

興味のベクトルが一旦アイルランドを向くと、アイルランドに世界中のベクトルが向いているように感じてしまうものです。

エンヤなどのアイリッシュ音楽も人気を集めていました。同じスタジオにアイルランドの帰国子女がいて、アイリッシュ舞踊を習っていた話も聞きました。リバーダンスの公演も見に行きました。もう心はアイルランド

さらにポピンズさんと一緒に入っていたイギリス文化の同好会がアイルランド旅行を企画してくれたのです。早速二人で参加を決めました。

 

この同好会の旅行は2週間近くかけてアイルランドを回るというもの。勤め人の私たちが全ての旅程に参加するのは不可能だったので、旅の後半、ゴールウェイという町で合流し、アラン島、スライゴーを回った後、一緒にダブリンに戻ってきました。

 

ダブリンでは「ケルズの書」を見たかったのですが、当時の米国大統領が訪問中で図書館が閉鎖されていたのが残念でなりません。

 

ゴールウェイでは生牡蠣の食べ放題に舌鼓を打ち、パブでアイリッシュ・フルートの音色に聴き入りました。フルート吹きのおっちゃんの笛をちょっと吹かせてもらったのですが、左利き用の笛で、私は音を出すこともできませんでした。

 

帰国後、「私も奏でてみたい」と、アイリッシュ音楽の音楽家に手紙で問い合わせたのですが(ネットはあったのですが発達していなかったのです)、教えていないとのことでした。

 

それから10年ほど経って、近江楽堂でアイリッシュ音楽の演奏会がありました。翻訳の仕事にあぶらがのっていた頃で、あまり趣味に時間を割いていなかった頃です。

ふとアイルランドの風に呼ばれているような気がして、再び教えてくれるところを探しました。インターネットの普及のおかげもあり、池袋のカルチャースクールにティン・ホイッスルの教室を見つけることができました。

 

ティン・ホイッスルとはアイルランドの縦笛。もともとティン(ブリキ)でできていたのでこう呼ばれています。子供のおもちゃのように見えて、素朴な音色に味わいがあります。無印良品のお店でよく流れていて、無印の店舗でCDも売られています。

 

発表会などはありませんでしたが、先生が熱心で、3月のセント・パトリックデーのパレードに参加したり、パブで一流のミュージシャンとセッションしたりと、楽しい経験をたくさんさせていただきました。

ちなみに(狭い)教室で30人ほどの生徒が一斉に笛を吹いていたこの講座、今ではお休みになっています。

 

ティン・ホイッスルの音を出すのは簡単ですが、アイリッシュ音楽の “節回し” は簡単ではありません。上手になると、哀愁を帯びた音、踊りたくなる軽快な音、様々な色を出すことができるようになります。

 

1年ほど続けたのですが、吹いているうちに、ずっと以前にやっていた木の笛が懐かしくなってきました。

そこで再開したのが、リコーダーとフラウト・トラヴェルソでした。

 

アイリッシュ音楽やダンスについての楽しいお話は、またの機会に。

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上から順に、フラウト・トラヴェルソアイリッシュ・フルート、ソプラノ・リコーダー、ティン・ホイッスル(D管)、ティン・ホイッスル(G管)