第121話 トゥルー・フレンズ

ダンスというものは、顔はマスクで隠れていても、知らず知らずのうちに自分をさらけ出しているものです。形は正確だけど “とんがって” いたり、欠点だらけのように見えても優しさや人の良さが滲み出ていたり…。

 

踊り方を見るだけで、いつも一緒にレッスンを受けている人が自分と相性が良いか悪いかも分かってきます。上手とか下手とかは関係なく「この人、好きかも」と直感するのです。

そしてその直感はずばり当たります。

 

悲しいことに、スタジオでできた友達はスタジオの神様がしっかり尻尾を握っているのか、スタジオの外まで友情が続くとは限らないのです。

でも、前々回の “猫の彼女” のように、スタジオの神様が再び結びつけてくれることもあります。

 

その一方で、スタジオから離れても続いている大切な友達もいます。

 

第114話に登場いただいたデイジーちゃんとは、スタジオが変わってから10年以上、年賀状だけの付き合いでしたが、私の最後となった発表会のときは花束を持って来てくれました。

 

私の母が病気になったとき、共通の友人からメアドを聞いてメールを出してみたところ、デイジーちゃんはちょうどお母様を亡くされたところでした。慰め合いから始まったメールが、その後10年以上往復しました。

本当にバカバカしいことばかりなのですが、読むとほっこり癒されるのです。パソコンを変えたときも、彼女からのメールは全てデータとして残しました(読み返すことはないですけれどね)。

 

タヌちゃんとは10年ほど前に知り合いました。彼女は程なくダンスはギブアップ。生活圏も離れてしまったので、会うのも数年に一度程度です。

でも私が落ち込んだとき、憂鬱な気分のときは必ず、お茶やスイーツを送ってくれます。自粛期間にも、可愛いマスクとクッキーを送ってくれて、そのクッキーを口に入れた途端、気分は晴れました。

 

ガラケーを使ってアホくさいメールが時々往復しますが、ちょっと長めの連絡をするときは紙の手紙を出します。手紙だけでは寂しいので、先日はライチの “種” を同封しました。

 

なかなか会えない代わりに、私が落ち込んだときは、夢の中に、タヌキの姿になって現れて話を聞いてくれます。私も何故かタヌキになっています。私が愚痴ると彼女は腹づつみを打って笑い転げ、しあわせな気分で朝を迎えることができるのです。

 

もしかしたら彼女は本当にタヌキで、送ってくれるものも実は木の葉だったのかもしれません。

そして、彼女も、(実を食べた後の種などをわざわざ送ってくる)私をタヌキと思っているかもしれません。

 

デイジーちゃんやタヌちゃんだけではありません。

メールのやりとりをするだけで踊るエネルギーがもらえる友人、インスタの写真を見るだけでほっこりできる友人、逆に友人を叱咤激励することで自分にもパワーが湧いてくる友人…、彼女たちは “猫の彼女” と違って、どこにいても遭遇していたかもしれない友人たちです。

 

でもどこにいても友情が築けたかというと、NOです。

スタジオという場で、利害関係から開放されているからこそ、お互いの良さを味わうことができたと思うのです。

 

スタジオは、文字通り余計なものを脱ぎ捨ててトゥルー・フレンドを得られる場なのだと思います。