第91話 千回のレッスンより一回の舞台

この週末は、フラウト・トラヴェルソの発表会です。

新型コロナウイルスの影響で、一時危ぶまれたのですが、無事、開催されることになりました。

 

今回は、先生と、”年下の姉弟子” と3人でトリオ・ソナタを一曲。そして「テレマンの12のファンタジー」から第7番D-durを演奏します。

 

じつは以前の先生に、この第7番を12週にわたって練習させられました。

さすがに飽きて、嫌気がさしてきて、早く上げたくて、毎日一生懸命に練習しました。しかし先生の前で演奏しても、「来週もやってきて」の一言で返されてしまうのです。練習のポイントだけでも教えていただきたいのに、それもなく、来る日も来る日も真っ暗闇の中でさらいました。そうしているうち、トラヴェルソのレッスンから帰ると顔の半分が痙攣してしまうようになりました。

 

顔面の痙攣は中高年の女性に起こることがあり、治療は難しいようでした。どこの病院に行こうかと迷っていたところ、たまたま2回ほどレッスンがお休みになり、症状がストンと治まったのです。

 

先生が敢えてアドバイスをしないのには、何か意図があるのかもしれない…とも考えましたが、なにより今後の人生を引きつった顔で過ごすのは不気味だったので、レッスンに行くのをやめました。

 

痙攣は止まりましたが、D-durは上がらずじまい。しばらくは聴くのも嫌でしたが、その後、信頼できる師匠に出会うことができたので、宙ぶらりんになってしまっていたこの曲を「上げよう」と思って今回、選びました。

 

期待通り、闇雲に吹いているだけでは分からない、いろいろな要素を師匠から教えていただき、曲の良さが味わえるほどになりました。一時は嫌いになりかけたこの曲が今では愛おしくなりました。

 

そして思いました。曲を「上げる」ということは、先生の前で上手に演奏をすることではなく、一つ一つの音を心から愛し、奏でられるようになることではないかと。

 

まさに千回のレッスンより一回の舞台…です。

今ではD-durは私の宝物ともいえる曲になっています。

 

バレエの発表会も、私が出た舞台は片手の指で数えられるくらい少ないものですが、やはり宝物として私の中に残っています。

 

どれも「写真を見ても、自分がどれか、自分にも分からない」ような役でしたが、自分の中ではキラキラ光りを放つ思い出です。難しい動きは(シングル・ピルエットさえ)含まれていませんでしたが、先生も熱心に向き合ってくださって、踊ることの本当の魅力を知ることができました。リハーサルだけでなく、普通のレッスンも愛おしくなり、惜しみなく仕事を休んでしまいました。発表会が終わってしまうと寂しくて、疲れが残っている身体で翌日もレッスンに行ってしまいました。

 

本当に素晴らしい体験で、1000回のレッスンでも学べないほどのことを体得できた…と思います。

 

その一方で、発表会に対する自分の要求度も、我が家の近くにできたタワマンほど高くなってしまったようで、ノーテンキに「はぁ~い、私、出ま~す!」と言えなくなってしまったのです。

 

その後も発表会のお知らせやお誘いをいただきますが、真剣に向き合えるだろうか、今の自分にそれに応えられる体力があるだろうか…ということを自問してしまうのです。笛だったら酸欠になるまで吹けばいいのですが、ダンスはそういうわけにいきませんからね。

 

こんなことを言っているうちに “リアル瀕死の白鳥” になっちゃう…かも⁉︎

いやいや、まだまだコロナにめげず、踊り続けますよっ!

 

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