第102話 ナミさんのBWV1033

新型コロナウイルスのおかげで、フラウト・トラヴェルソのレッスンもお休みになってしまいました。でも笛は一人でも楽しめるので、毎日いろいろな曲を吹いています。

ふと窓の外を見ると、小鳥が…来ません。せいぜいカラスです (-。-;

 

音楽のいいところは、勝手に楽しめることです。

楽譜さえ手に入れば、誰が何を演奏してもかまわないのです。

音さえ出せれば、毎日やっているうちに曲らしくなってきます。

たとえ曲らしくならなくても、本人には楽しいのです。

楽器などなくてもできます。声(歌)でも唇(口笛)でも。なにより、全身で奏でることができるのがダンスです。

 

住居が「密」な都会では、音は近所迷惑にもなり得ますが、ありがたいことにトラヴェルソは音が控えめで、おまけに(ここだけの話)お隣は集団疎開されているようで、誰もいません。

つまり、24時間、吹き放題なのです!

 

ということで、今はバッハの曲を吹いてみたりしています。

この曲は、昔、近江楽堂でナミさん(仮名)という方が演奏されました。

 

ナミさんとは直接お話ししたことはありません。以下、聞いた話です。

ナミさんは、大学で数学を教えていたそうです。

おそらく昭和初期の生まれなので、女性が数学を極め、大学教授となるのに、今の人よりはるかに優秀な頭脳と努力と精神力が必要だったのではないでしょうか。定年退職してフルートに出会うまでは、私が聞く限り、趣味を持つこともなかったようです。

 

ご主人が亡くなられた後、ご主人の金属製のフルートが遺品としてナミさんの手に渡り、「ひとつ、やってみようか」と始めたそうです。60歳を過ぎてからのことでしょう。

70歳を超えてからは、年に一度、近江楽堂を借り切ってリサイタルをされていました。

私が聴きに行ったのはナミさんが80代後半に入ろうという頃でした。客席はほぼ満員でした。

 

そのとき演奏されたのが、このJ.S.バッハ作曲ソナタBWV1033。チェンバロの伴奏つきでした。

第1楽章アンダンテは(私の記憶では)無事終わりましたが、第2楽章のアレグロになると、笛の音はかすれていきました。

 

フルートというのは金属でできていても、木でできていても、一本の管にすぎません。たて笛やトランペットなどのように音を鳴らしてくれる装置がついているわけではなく、管についている穴に口をつけて、その角度を微妙に調節することで音が出るのです。

なので、緊張したりして、ほんのちょっとでもいつもと手元が違ってしまうと、いくら練習の時にきれいな音が出ていたとしても、ただの管になってしまうことがあります。

 

長い間、学生に数学を教えていたナミさんは人前でビビるような方ではないはずなのに、たくさんのお客さんを前にして音が出なくなってしまったのです。

チェンバロ奏者の方が「私だけ弾いてていいのかしら」という表情で、ナミさんを心配そうに見つめながら演奏されていたのを思い出します。

第2楽章で消えてしまった笛の音は、第3楽章も、第4楽章も復活することはなく、曲は終わってしまいました。

 

が、そこでめげるナミさんではありませんでした。

挨拶が終わった後のアンコール。再びその曲を最初から演奏されたのです。

今度はうまくいって拍手喝采

不撓不屈…ナミさんの人生観を垣間見たようなリサイタルでした。

 

その後、私も楽譜を買ってみました。十六分音符で埋め尽くされた楽譜を一目見て、吹く気になれずしまっておいたのですが、ここのところ時間があるので吹いてみようかな…と取り出しました。

難しいです。これを人前で吹こうと “思う” だけでも凄いです。

バレエで言えば、発表会で黒鳥のパドドゥを踊るような感じでしょうか。

 

ナミさんは、1、2年前に大宇宙へと旅立たれたそうです。

今頃あの世で、ご主人と一緒にフルートの演奏を楽しまれていることでしょう。

 

新型コロナウイルス肺炎では、軽症でも(ときに無症状でも)、本人が気がつかないまま血中酸素飽和度が低下するそうです。

この曲が吹けてお菓子が美味しく食べられれば「今日も感染なし」…と思うことにしています。