第64話 先生は生徒を選べない?

フラウト・トラヴェルソの、私が前に習っていた先生は有名な芸術系大学を卒業した後、海外で演奏活動をし、帰国後はいろいろな大学で講師をし、CDも出しています。演奏会も日本で年2、3回、外国でもしているようです。

今度の先生は、(私が今、知る限りでは)それほどのキャリアはありませんが、すごく熱心に教えてくださいます。

 

新しい先生に習って気がついたのですが、

前の先生は、音楽を楽しむことを強調され、個性を大切にしてくださっていたようですが、大切なこともスルーされていたようです。

「〇〇は知ってる?」「こういう練習法、やったことある?」と、新しい先生に訊かれて “No” の返事しかできず、前の先生の名前を訊かれたらどうやってはぐらかそう?…とまで考えるようになってしまいました。先生に習っていたことは誇らしいものの、名前を出して「それほどの先生に習っていたのに?」と、私が “ボーッと生きてきた” と思われるのも…。

 

これと反対の場面に遭遇したこともあります。

ここからはバレエの話、某スタジオに通っていたときのことです。

そこの先生は、オープンスタジオだというのにとても熱心に教えてくれていました。熱心すぎるあまり、先生の仰ったことを反映できない生徒に業を煮やしてこう言うことがありました。

 

「あなたがこれから先、他のスタジオに行くことがあって、そこで『何先生に習っていたの?』って訊かれても私の名前を絶対に出さないでちょうだいね」

もちろん全ての生徒がそんなことを言われているわけでなく、私も当然言われていませんが。。

 

オープンスタジオであれほど情熱的に教えてくれる先生は滅多にいないので、私はその先生のレッスンは好きでした。なので先生のご意見を推測し代弁させていただくと、先生は生徒を選べないのよ…と仰りたいところだったのかもしれません。

 

生徒側からすると、ときに半日も電車やバスに揺られ、その間にある数多のバレエスタジオをスルーして、コーヒー紅茶デザート付きランチが食べられるお金を毎回払って先生のクラスに通って来ているのは、先生のレッスンが好きで、受けたいからなんです。そこまで熱心に見ていただかなくてもいいですから、多少お気に召さなくても大目に見てください…と言いたいことでしょう。

 

子供であれば(遊びの延長で習いに来ていても)、先生は自分の持っているもの、知っていること全てを伝授しようとするでしょう。

一方、大人から始める生徒にどこまで本気で向き合うかは、先生の中でも葛藤があるのかもしれません。

 

熱心に教えてくださるに越したことはありません。私のフラウト・トラヴェルソの前の先生も、もしかしたら最初は熱心に教えていたのに、大人から始めた生徒の天井が見えてしまって、「楽しめればいいから」のスタンスに変わってしまったのかもしれません。でも生徒というのは愚かなもので、先生からNGが出なければOKなのだと思い込んで、愚直に練習を積んでしまうものなのです。

 

先生の仰ることを吸収するのに時間がかかる大人の言い分としては、注意されることで楽しみが減ることはありません。注意のシャワーを浴びてしまうといっぱいっぱいになってしまうこともありますが、たまにいただくアドバイスは乾いた砂地にまかれた一杯の水のように、すっと沁み通ることもあります。

 

私の経験では、今までのところ、以前に習った先生の名前を尋ねる先生には出会ったことはありません。でも、

何を何歳から始めたとしても、教えてくださった先生を自慢したいものですし、

先生にも、私を教えてくださったことを誇りに思われたいものです。