この季節になると、 最近では世界中の「クリスマス・ケーキ」がお目見えします。
でも私が子供の頃と言えば、バタークリームをたっぷり使ったケーキ、またはそれにチョコレートをコーティングしたものが一般的でした。
それでも子供にとってクリスマスは、お誕生日でもないのに丸いケーキが食べられる楽しいチャンスでもありました。ケーキの上に載せられていたプラスチック製のツリーやヒイラギの葉は、食べ終えてからも大切にとっておいたものです。
私の一番の思い出のクリスマス・ケーキは、小学校6年生のとき、親友ユリちゃんのお母様からのプレゼントでした。丸いバタークリーム・ケーキにチョコレートをコーティングしたもの。今でも、時々食べたいなぁと思うこともありますが、バタークリームを使ったケーキ自体、見かけなくなりました。
小学校時代の楽しかった思い出を振り返ると、いつもそばにユリちゃんがいました。お母様は洋菓子店で働いていて、クリスマス・ケーキだけでなく、しっとりふわふわのマドレーヌをいただいたり、洋菓子店の一角にあった喫茶コーナーでケーキとレモンティーをご馳走していただいた思い出もあります。
ユリちゃんとは中学校から別になり、大学生になる頃までは手紙が往復しました。やがて年賀状だけの付き合いになり、30代で年賀状も途切れてしまいました。最後に彼女から来た年賀状の住所は、”宮城県石巻市” でした。
震災後、私はネットや新聞で、避難所にいる人、死亡した人の名前を探しましたが、彼女の名前はありませんでした。行方不明者はどこにも載らないので、行方不明という可能性もありました。でも、そもそも震災時、彼女がまだ石巻に住んでいたかどうかさえ不確かなのです。
きっとどこかで生きている。そう思うことにしましたが、彼女に会いたい気持ちは募りました。
この地球上にいる1億を超える人たちの中から偶然出会い、仲良しとなった彼女。その絆を自分の都合で断ってしまったことにすごく後悔しました。何も書かなくとも、年賀状だけでも送っていればよかったのに…と。
(なので、年賀状は、出すか出さないか迷ったら、是非出してください。止めるのは来年からでもいいのです。)
30代では大きくすれ違ってしまいましたが、50代の今なら、また共有できる話題もあるはずです。
SNSもやってみましたが、彼女の名前も、ご主人の名前も見つかりませんでした。
そこで私は、「小説を書こう」と思いました。小説を書いて、それが売れれば、彼女が名乗り出てくれるのではないか…と。
飛躍してます? でも、私が選挙に出馬しても、テレビ番組に出ても、ニュースに出たとしても、彼女が名乗り出てくれる可能性は低いでしょ⁉︎
…という経緯で、私は小説を書き始めました。
少なくとも人に読んでもらえるよう、売れている小説を研究して、推敲を重ね、何本か書いてみました。
最後に書いたお話の主人公は、彼女と私です。たまたま参加したイギリスツアーで私たちは再会するのです。小説の中には、彼女が読めば必ず、私が作者であることに気づくようなエピソードを盛り込みました。「テディベアと午後のお茶」と名付けたその作品は、読み返すたびにユリちゃんとイギリスのティールームでお茶を飲んでいる気持ちになって、(私は)ハッピーになれます。
小説新人賞に応募してみましたが、ずっと書くことに専念してきた人ばかりの中に、40代になってから書き始めた私が入り込める余地などありません。
だけど文章を書くことに没頭しているうちに、私は書くことにすっかりハマっていました。
このブログは(最初に書いたかもしれませんが)、あるスタジオで久しぶりにヴィオレット先生のレッスンを受けたことから、バレエを始めた頃を振り返り、懐かしい話に最近の話題を交えて書いてみようかと思ったのが発端です。
そして、言いそびれていた、ルシーニュ先生への感謝や、スタジオで出会ったアダルト・ダンサーズへの応援の気持ちを込めて書き続けました。さらに、おそらく言いそびれるであろう、現在習っている先生に感謝の気持ちも添えて(いつが私のラスト・レッスンになるか分かりませんからね)。
ですので、このブログは、ユリちゃんに読んでもらうことを想定しているわけではありません。だからと言って、ユリちゃんに会うことを諦めたわけでもありません。
いつか私が書いたものをユリちゃんが読んで、再会できる日が来るまで、続けていきたいと思っています。
そして、もし皆さんのスタジオに、ご近所に、「ユリ」という名前の50代の女性がいたら、お母様が渋谷区の洋菓子店で働いていたかどうか、ぜひ訊いてみてください。そして、もし「YES」と言われたら、是非このブログを教えてあげてくださいm(_ _)m
*このブログをアップした矢先、ウェスト洋菓子店でバタークリーム・ケーキを見つけたので、早速買ってきてしまいました♡