第160話 “青ヘル” の座敷わらし

ニコちゃんはある日、座敷わらしのように青山ヘルシィスタジオのバレエクラスに現れました。

まるでそこにずっといたように、ニコニコ人懐っこい笑みを浮かべて😊

 

ニコちゃんは、ヘルシイスタジオのすぐそばにあったバレエ団のダンサーでした。バレエ団のレッスンの終わった後、ヘルシィスタジオでジャズダンスやバレエを楽しんでいたようです。

 

ヘルシィスタジオの発表会では、フェイク・ネームを使ってジャズダンスを踊っていました。

 

一方、大人から始めた人が殆どだったバレエクラスでは、快く受け入れる雰囲気とはほど遠く、「何で来てるの?」みたいな空気もありました。「そんなに優越感を感じたい?」みたいな。

そんな空気が読めないのか、読めない振りをしていたのか、ニコちゃんは楽しそうにレッスンにやって来ました😄

 

ヘルシィスタジオ・バレエクラスのパフォーマンス新年会では、楽しく踊る私たちを、ガラス越しに見つめていたニコちゃんの姿を今でも覚えています。

まるで下手くその私たちが羨ましいみたいに🙄

 

青山ヘルシィスタジオはやがてクローズされ、バレエクラスはMバレエ団の「趣味クラス」に時間・先生ともほぼそのままに移ることになりました。

Mバレエ団とは違うバレエ団に所属していたニコちゃんでしたが、「趣味クラス」の初日に駅でばったり会って、一緒にスタジオに行った覚えがあります。

 

別のバレエ団の団員さんがMバレエ団の「趣味クラス」に出るなんていいんだろうか?と思ったのですが、ニコちゃんは私と同じ、ルシーニュ先生のクラスが本当に楽しかったんだと、このとき初めて分かりました。

 

その後仕事が忙しくなった私は結局「趣味クラス」に通うことはなく、10年ほどが過ぎました。

 

そして仕事が変わり、AEDダンススタジオに通い始めてびっくり😳

ニコちゃんがそこでバレエクラスを教えることになったのです。

AEDでの、ニコちゃんの初クラスに私は参加しました。

 

NYで踊っていたというニコちゃん、ペア・ストレッチを盛り込んだユニークなバレエクラスは、踊りに必要な筋肉の動きを感じることができるとジャズダンスの先生も多く参加し、受講者はどんどん増えていきました。

 

その後、私はソフィ先生のクラスに出始めてニコちゃんとは疎遠になってしまいましたが、時折ジャズダンスのクラスに出ていたニコちゃんと更衣室で何度か会いました。

 

最後に会ったとき(5年くらい前?)、詳しくは聞かなかったのですが、バレエはやめてしまったと言っていました。

 

もったいない思わず口から出てしまいました。

いくらレッスンしても上手くならない身からすると、あんなにキレイに踊れる身体をフル活用しないなんて、冷えたビールを流しに捨ててしまうように思えたのです。

 

でも、ニコちゃんには上手に踊れるゆえの迷いや悩みもあったのでしょう。今になってようやく、ニコちゃんの気持ちが想像できるようになってきた気がします。

 

私にとって青山ヘルシィスタジオがダンスの原点であったのと同様ニコちゃんにもダンスの楽しさを再発見する場であり、そしてひょっとすると居場所だったのかもしれません。

 

コロナ後、私はAEDに行っていないので、再びニコちゃんと顔を合わせる機会はなくなってしまいました。

 

ダンスを職業としているニコちゃんと、ただ好きで踊っている私。

ダンスを挟んで対極の立場にいる私たち。

何年かごとに織女と牽牛のように束の間会って、また別れる。

お互いの気持ちを理解することはできないけれど、踊るのが好きであることは同じ🧡

そして、おそらく青ヘルと聞いて蘇る感情も💛

 

ダンスで出会った人たちとは何かで繋がっているような、不思議なご縁を感じてしまいます。