田中泯さんの映画「名付けようのない踊り」を見てきました。
泯さんのダンスは、私たちが踊るダンスの延長上にありながら、まったく異なるものです。
それは「ダンス」という道であり、哲学であり、生き方そのもののようです。
その場の空気に合わせて踊る「場踊り」が、田中泯さんのスタイルです。
ときにそこにいる蜘蛛を観察して自分も蜘蛛になったり、ときに叫び声を上げたり。
音楽は流れていませんが、踊りの中に音楽が内包されている感じです。
劇場で、または街中でたまたま泯さんのダンスに遭遇したら、強烈すぎて逃げたくなるかもしれません。
田中泯さんは今、山梨県の山中に居を構え、毎日鍬や鋤を使用して農作業をして身体を作っています。
何故、農作業をするか、それについて泯さんは映画の中でこう語っています:
ダンサーは、ダンスを目的に身体を作ってしまう。
ぼくは、その身体で踊るのは違うと思った。
大地によって作り上げられた泯さんの身体は瑞々しく、とても76歳には見えません。
しかし農業をやっていれば、誰もが美しい肉体になるとは限りません(普通はムキムキ💪になるか、身体を壊すと思います)。
しかし、この言葉を都合よく拡大解釈すると、私たちも日常動作を大切に行うことで、それが各々のダンスにつながるということではないかと思うのです。魚屋さんは魚屋さんとして、赤ちゃんやお年寄りをケアしている人たちにはその人なりに、やるべきことを日々遂行することで、その方だけの踊りができる身体になる…と。
以下に、印象に残った、泯さんのセリフを引用します。
興味のある方は劇場へ。
ダンスは誰の所有物でもない。
見ている人と私の間にダンスが生まれる。
見ている人もダンサーだ。